以前、摂津国多田神社の門前まで辿り着いたのですよ。
17時前に・・・。
門扉が閉まっていました、残念・・・。
そうした苦い経験がありましたのでね、
大和国奈良に止まっていたのですが、朝に出発して摂津国多田神社に向かいましたよ、
駐車場に車を停め、徒歩で端の前まで来ました。

川の反対側からも、渡ることができなくなっていることが解りました。
工事中だそうです。
2027(令和9)年6月までかかるんだって。
端の様子を覗いて観ると

かなり傷んでおりました。
これでは渡ること罷り成りませんな。
ここから山門(南大門)を観ています。

階段が歪んでいますな。
大丈夫かっ?

「史跡 多田院」の石柱の横に、「定」と題した禁制が記されています。

「多田神社」の石柱も建てられています。

では、この石段を上っていきましょう。

多田神社の「南大門」、県指定文化財だそうです。
南大門には

「正一位 多田大権現」の額が掲げられています。
「多田合い権現」とは、源経基の子である源満仲のことです。
969(安和2)年、藤原千晴らを密告して藤原氏の政敵・源高明の一派を一層した安和の変の立役者となりました。
摂関家に使えつつ諸国の受領を歴任、鎮守府将軍にも就任しました。

南大門には清和源氏の紋・笹竜胆の垂れ幕が備えられていました。

以前は、この扉が閉められていたのですよ。

境内から門外を望んでいます。
岩盤が露わになっている川を前にする高台に位置した武家の館跡ということが、よく解りますよ。
手水所には、厳つい顔をした龍(ドラゴン)が居り、

竹で造られた蓋を抑える三つ葉葵の丸瓦が置かれていました。
江戸時代、徳川家によって修理・保護されたことがうかがえますね。
鳥居の前に立っています。

「やっと、これから源満仲・源頼光に逢える」
と思いましたが、余り雰囲気が宜しくないっ。
雨粒も落ちてきました・・・。

この鳥居の左手側に社務所がありまして、ここで朱印を頂戴しました。
「源家祖廟」
の墨書でしたよ。
随神門に向かって右手側、「寶物殿」があります。

残念ながら閉館中でした。
開館は限られている様です。
入口横の金属盤プレートには
「
寶物殿
国登録有形文化財
平成三十一年三月二十九日登録
江戸期に木造建築であった宝物殿を、当時の宮司
福本實光が昭和四年二月に災害や盗難の防止を鑑
み、鉄筋コンクリート造平屋一文字銅板葺きの切
妻屋根を架す構造物に再建した。収蔵部は鉄筋コン
クリート造であるが、柱梁構造の真壁造の外壁とす
る伝統的な社寺建築を基本としている。
尚、第二次世界大戦中は耐震耐火防湿等の構造や
立地環境の面から県下の国宝疎開場所を秘密裏に選
び「兵庫県国宝収蔵庫」として昭和十九年十一月に
国宝二十四点・重要美術品四十点が収蔵、翌年四月
に重要美術品十九点が追加収蔵された。保管点数八
十三点は幸い無事故で終戦を迎えることができ国宝
を戦果から守る任務を果たし現在に至っている。
」
という説明がありました。
寶物殿の入口、右手側には

「 水戸黄門
御手植胃腸 」
の表示がありました。

「水戸黄門」とは徳川光圀のことです。
江戸時代の『水戸黄門漫遊記』によって全国行脚のイメージが強いのですが、実際には勿来関と熱海を覗き、現在の関東地方から出たことは記録上確認されていません(笑)。
それはそうと、放って散るから美しいということが、よく解りますね。
「随神門」は、国指定の文化財に指定されています。

「下馬」の札が立てられています。
気付きませんでしたが、門内に「神馬舎」があります。
神馬を見過ごしたのは痛恨の極みっ!
「随神門」を潜り、「拝殿」に向かっていきます。

記念撮影用のプレートが設置されています。

団体の参拝客用でしょうか。
個人参拝でも、使用可能ですがね。
どんどん「拝殿」に近付いていきます。

ワクワクしていますよ。
だって態々摂津国まで源満仲・源頼光に逢いに来たんだもん。

「拝殿」迄です。
狛犬の阿吽形が控えていますね。

2頭とも厳つい顔をしています。
多田神社は、初めての参拝ですのでね。
これから何度も参拝して、懐かせるつもりです(笑)。
扉3組が、それぞれ開いていましたのでね。

3箇所、それぞれの正目から撮っています。

真ん中から、本殿がチラ見えしています。
鏡が、此方側を写していますね。
垂れ幕に笹竜胆と・・・三つ葉葵が据えられていますね。

拝殿の左側、柵が巡らされています。

拝殿の後方に「本殿」が見えます。
「そっか、本殿前に行くのは向こう側か・・・」
と思い、拝殿の右側に向かったところ

こちら側にも柵が巡らされていました。

「本殿」の後方に、源満仲・源頼光の廟所があります。
本殿の右側には「酒呑童子 鬼首洗いの池」があるのです。
右から回り込む道があるだろうと探しましたが・・・ありませんでした。
酒呑童子の首を洗った池って、どんなんだろうと楽しみにしていたのにぃ・・・。
源満仲と源頼光に逢いたかったのにぃ・・・。

無念な心持ちで、拝殿を後にします。
何処かに源満仲・源頼光廟所、首洗いの池に繋がる道/入口はないものか、と探してみました。
この壁・紋の向こう側に行きたいのにぃ・・・。

「東門」を出ちゃいました。

こっから源満仲・源頼光廟所と首洗いの池に繋がる途があるのか、徘徊します。

この坂道を上っていきますが

「政所門」は閉まっており

「政所殿」(武道館)の入口も、斯様に閉まっていました。
ちょっと、内側を覗いて見たのですが

目的地へ行けそうにありませなんだ。
落胆しましたよ。
武蔵国に帰還してから調べてみたところ
・正月の初詣シーズンに開放される
・社務所で宮司さんに申し出ると、宮司さんが案内してくれる
らしいことが判りました。
いいんです。
また多田神社に参拝しますから。
ところで、休憩所周辺に「三ツ矢サイダー」のお話が掲示されていました。





「河越御所」では三ツ矢サイダーを愛飲していますぞっ。
これからも、よろしゅう(笑)。
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