2021.8.19 東京国立博物館の常設展で江田船山古墳出土「鉄刀」を愛でてきました。

2021.8.19 東京国立博物館の常設展で江田船山古墳出土「鉄刀」を愛でてきました。

東京国立博物館に2度目の特別展「国宝 聖林寺十一面観音―三輪山信仰のみほとけ」拝観に行ってきましたが、その話は別の機会として、今回は肥後国の江田船山古墳(えたふなやまこふん)から出土した鉄刀について注目してみます。

江田船山古墳は、清原古墳群(せいばるこふんぐん)の中心的な前方後円墳で、5世紀後半~6世紀初めの築造と考えられています。
1873(明治6)年の発掘により、後円部の石棺式石室より副葬品が一括出土しました。

1873(明治6)年元旦早朝、地元の池田佐十(いけださじゅう)の枕元に白装束の武士が現れて江田船山古墳のある場所を指し〝掘る〟ように告げたといいます。こんな事が3日続いたことから池田佐十がその場所を掘ったところ石棺を発見し、中からたくさんの副葬品が出土したといいます。当時の白川県(現・熊本県)が明治政府に報告、出土品は博物館(現・東京国立博物館)に買い上げられました。
そのうちのひとつが「江田船山古墳出土鉄刀」です。

こうした経緯から、東京国立博物館の常設展に国宝指定を受けた、この鉄刀が展示されているのです。

全長90.9㎝ですが、茎(なかご)が欠損しているため刃渡り85.3㎝の鉄製直刀になっています。
大正末期、研ぎ師によって研磨され、約75字が範読できるようになったそうです。ただ研磨の際に剥落して喪失した部分があると考えられています。文化財の取り扱いが未発達な時期に起こった悲劇ですね。

刀身部は黒ずんでいましたが、1991(平成3)年に保存修理がなされ、象嵌部分の銀色が可視化できるようになりました。

刀背部の銀象嵌75字、
「治天下獲□□□鹵大王世、奉事典曹人名无□(利カ)弖、八月中、用大鐵釜、井四尺廷刀、八十練、□(九カ)十振、三寸上好□(刊カ)刀、服此刀者、長寿、子孫洋々、得□恩也、不失其所統、作刀者名伊太□(和カ)、書者張安也」
が有名ですが、これ以外に刀身側面関(まち:刀身と茎の境界部分)には差し表(さしおもて)側に馬(天馬?)と九曜文が、差し裏(さしうら)側には魚や鳥が彫り込まれています。
この様に、関(まち)周辺の象嵌絵画が見易いライティングがなされています。

 

前回は時間の制限があったので撮り忘れてしまいましたが、今回はしっかりと刀背部の文字を撮ってきましたよ。

 

 

 

映りの良好な画像を掲載しているので、文章が繋がっている訳ではありません。

薄暗いところでピンポイント照明が当てられているので、安物デジタルカメラで文字が明瞭な画像がなかなか撮れず、何枚も撮影していたところ、学芸員のお姉さんに監視されていました。恥ずかしい。

いつも本物に集中してしまうのですが、〝心にゆとりがある〟ことにより、こんな情景を目にすることができました。

 

 

 

これだから、東京国立博物館はとても楽しいのです。