高野山に何日も滞在していると、普通に車の通っている道を通るのが勿体無いことに気付きます。
壇上伽藍や金剛峯寺の境内を通ると、移動しながら壇上伽藍・金剛峯寺の建造物を愛でることができるのです。
金剛峯寺~奥ノ院「一の橋」までは、通常の道路を通るしかありませんが、壇上伽藍の注文から金剛峯寺は通過できますからね。
気が付くと〝そりゃ、そうだ〟と思いますが、指摘されなければ普通に車道素意の歩道を使っちゃいますよね。
今回の高野山滞在は、慌てず・焦らずに〝ゆるりと高野山を愛でる〟ことを旨としていたので〝移動も遊び〟にしてしまいました。
「蛇腹道」の入口です。
高野山には常緑樹が多いので、秋だからって全ての葉っぱが赤くなることはありません。
でも常緑樹の中で、紅葉(こうよう)が鮮やかに映えていました。
道路の落ち葉は赤か黄色でしたからね。
写真に収めていませんが、道路がとても綺麗でしたよ。
更に、澄み切った青空でしたからね。
〝自然の美しさ〟も楽しむことができました。
紅葉(こうよう)は近付くより
遠目から愛でるのがよろしいですね。
「東塔」の下に小さな池があったので、そこに下りてみました。
特段、気になることがありませんでしたので、そこから「東塔」を見上げています。
何度も「東塔」を撮影していますが、下から立木越しに観るのは新鮮(笑)。
壇上伽藍「東塔」は国史跡に指定されています。
創建は白河天皇の御願(ごがん)ということですが、現在の「東塔」は1983(昭和58)年の再建だそうです。
壇上伽藍「東塔」、白河天皇の創建時のサイズが現状のものと同じか否かは不明ですが、素敵ですよね。
せめて現在の「西塔」と同じサイズだと東・西で調和がとれるのにね。
その隣りが「三昧堂」です。
「三昧堂」も国史跡に指定されています。
鳥羽上皇の北面の武士を務めた佐藤義清(さとうのりきよ)が、出家して西行(さいぎょう)と名乗り、諸国を行脚して歌を詠みましたよね。
この西行が、「三昧堂」と「大会堂」をこちらに移築したのだそうです。
この「三昧堂」は1843(天保14)年の大火の後の再建だそうですよ。
「三昧堂」の隣りが、西行によってここに移築された
「大会堂」です。
あまり意識していなかったのですが、西行のコーナーだったのですね。
また、次の参詣までに諸々調べておきますよ。
参詣客が射たか・・・で、一棟をとばしました。
次は「根本大塔」ですよ。
ここ最近、「根本大塔」を見上げると澄み切った晴天であることが続いています。
空の青さと塔の朱色が対照的で、美しいですよね。
「根本大塔」は、入ってから拝観料500円を納めることになっています。
内陣は中央に胎蔵界「大日如来」が、その廻りに金剛界の四仏(阿閦如来・宝生如来・観自在王如来・不空成就如来)が配された立体曼荼羅となっています。
「根本大塔」の立体曼荼羅、凄い迫力があるのですが撮影は禁止となっています。
外国人観光客が撮影しているところに遭遇したことがありますが、それはルール違反です。
撮影禁止なら、それで構わないのですが、絵はがきの商品化くらいは実現してもらいたいものです。
雲ひとつ無い青空だからこそ、「根本大塔」の朱色と対比させて、遊んでいます。
「根本大塔」は、どっから観ても美しいですね。
現在の「根本大塔」は、1937(昭和17)年の再建だそうです。
中身の立体曼荼羅も同時期でしょうな。
壇上伽藍「金銅」の裏側が広場になっていて、こちらには燈籠は立てられていませんが、「根本大塔」の美麗な姿を楽しむことができます。
青空のもとの「根本大塔」、キレイでしょ(笑)。
空海が構想したということですが、実際に完成したのは空海の甥・真然(しんねん/しんぜん)の時だそうです。
その創建時「根本大塔」は、1843(天保14)年の大火で焼失してしまい、昭和まで再建は実現しなかったといいます。
創建時「根本大塔」の姿、見たかったですね。
良き天気でしたからね、「三鈷松」の廻りで人びとが松の葉を拾っていました。
三つ叉の初の葉っぱ・・・そんなに欲していませんのでね。
何時も素通りですぅ。
次は「御影堂」です。
空海の入定にあたり、空海はここから奥之院へと遷されたのだと謂います。
その後、実恵(じちえ)が空海の御影を安置したことから、ここが「御影堂」と呼ばれているのだそうです。
現在の「御影堂」は、1848(嘉永元)年の再建だそうですよ。
こちらは「准胝堂」です。
「准胝堂」は平安時代の中盤、藤原基経に補佐された光孝天皇の御願によって真然(しんねん/しんぜん)が創建したそうです。
「准胝堂」の本尊准胝観音菩薩像は、空海の造立と伝わっているのだそう。
この「准胝堂」は、1883(明治16)年に再建されたものです。
更に、この隣りが「孔雀道」です。
「孔雀堂」は、鎌倉時代前期の後鳥羽上皇の御願によって創建され、国史跡に指定されています。
現在の「孔雀堂」は、1984(昭和59)年に再建されたものです。
本尊として快慶の手による「孔雀明王」が安置されていました。
現在は高野山霊宝館に居る、カッコいい像ですよ。
壇上伽藍の端っこ、「西塔」の敷地に映えている樹木が、こんなんなっていました。
樹齢はそれ程ではなさそうですがね。
こちらは重要文化財に指定されている「西塔」です。
真然(しんねん/しんぜん)が887(仁和3)年に創建しましたが、現在の「西塔」は1834(天保5)年に再建されたものです。
江戸時代も終盤に差し掛かった辺りの再建でありながら、建物そのものが古代もしくは中世的な雰囲気を醸し出しています。
偶にありますよね、こうした建造物(笑)。
宿坊利用者の案内だったのでしょうか?
少人数のグループに坊主が説明していました。
声は聞こえませんでしたが、〝ここから中が見えますね〟みたいなジェスチャーでした。
その一団が去った後、こうして寄ってみると、確かに紙が破られ穴が開いていました。
これまで何度も「西塔」の前に立ってきましたが、全く気付きませんでした。
過去にとった画像を確認してみると、この穴はありませんでしたよ。
左右対称の位置になっている穴には金網が張られています。
向かって右側の左、こちらが何者かによって破られた穴ですよ。
以前の参詣で、外国人観光客が授与所で朱印を書いている職員に対して
「西塔の中を見たい、見せてくれ。」
と難癖をつけていたのを思い出しました。
「せっかく日本に来たんだから、見せてくれ!」
って外国人観光客が開けたのでしょう。
覗くと〝非公開〟のはずの内陣を垣間見ることができました。
本尊の金剛界「大日如来」、その周りに胎蔵界の
開敷華王如来(かいふけおうにょらい)
宝幢如来(ほうどうにょらい)
天鼓雷音如来(てんくらいいんにょらい)
無量壽如来(むりょうじゅにょらい)
が配置されています。
覗き見では、ここまで判別できませんがね。
「根本大塔」も同様ですが、金剛界・胎蔵界が一体であるという「金胎両部不二」(こんたいりょうぶふに)の教えが具現化されているのだそうですよ。
ところで、何とすれば
こういうことになるのでしょうね?
壇上伽藍「金堂」の前へと廻る途中、「三鈷の松」にほぼ人影が無かったので撮ってみました。
松の廻りに策が巡らされているので不可能ですが、どっかに三鈷杵を引っかけて撮影したいと思っています(笑)。
壇上伽藍「金堂」の前、燈籠越しに「金堂」を観ています。
「根本大塔」と同じく、入って拝観料500円を納めることになっています。
以前、内部を拝観したことがあるので、今回は立ち入りませんでした。
時間にゆとりはあったんですがね・・・。
燈籠から雲が湧き出ているかの様でした。
ちょいと退いて
撮った画像です。
「金堂」は、こんな感じでいいかな。
この後「中門」に向かい、
四天王をそれぞれ撮影しました。
詳細は、また今度でね。
道路側に立って「中門」を見ています。
もっと近付いて、観光客の居ない画像を撮りたかったんですが・・・時間帯を考えれば、それは難しいのですよ。
何時もは、これで「壇上伽藍」を終えるのですがね。
今回は、これまで素通りしてきた「善女龍王社」に立ち寄りました。
通常の道路を通っていた時は気付かなかったのですが、Googleマップで「善女龍王社」とありましたのでね。
橋を渡って浮島へと向かいます。
狭き幅の橋です。
とは謂っても、向こう側から来る人とは余裕を持ってすれ違いができますので心配無用です。
浮島に足を踏み入れ、反対側に廻ると
「善女龍王社」の正面に到着です。
幟には「南無青龍大権現」の文字が。
小っさい社ですが、清新な気が纏っている感じでした。
観光客が入れ替わり立ち代わりで参拝していましたよ。
退いて、正面から「善女龍王社」の様子を観ています。
心地良いポイントでしたよ。
さて、日を替えて雨が降っている「壇上伽藍」を駆け足で観ていきます、
しっとりした「蛇腹道」です。
青空ではないと、紅葉(こうよう)が際立ちますね。
人影もありませんしね。
「根本大塔」は、雨が降ると水溜まりができてしまいます。
材質によって靴が濡れてしまうでしょうから、注意しましょう。
「根本大塔」から人が出てきています。
悪天候でも、観光客はまぁまぁおいでなのですよ。
雨の日の「西塔」です。
屋根が濡れていることで、晴天時の「西塔」とは違った印象になっています。
近寄ってみると
障子の紙が修繕されていました。
前日の穴が塞がれていただけでなく、周辺も紙が張り替えられていました。
何時、どのタイミングで修繕されたのでしょうか?
現場を観察してみたかったですね。
流石に雨天の「三鈷の松」で、松の葉っぱを拾っている方は居りませんでした。
こちら「経蔵」です。
美福門院の御願により1159(平治元)年、鳥羽法皇の菩提を弔うために創建されたそうです。
現在の「経蔵」は、1934(昭和9)年に再建されたものです。
「把手」(はしゅ)と呼ばれる取っ手があり、これを以て「経蔵」を回すことができます。
摩尼車(まにしゃ)を回すと功徳を得ることができる理屈と同じですね。
今回は、この「経蔵」を回している様子を動画で撮影したのですが、何故かデータは消去されていました。
また、次回の参詣で試してみますね。
通り道として「壇上伽藍」を散歩するという遊びをしてみました。
これが、かなり楽しいのです。
今後、高野詣をする際は、長期滞在を原則とし、壇上伽藍と金剛峯寺の境内を散策することを常態にします。
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